【神回】☆幸せになる価値観(*‘∀‘)本当の裕福とは(・ω・)ノ

人生

こんにちはぴんころです。

近年の資本主義社会における裕福とは

壱に金!弐に金!参、̪肆がなくて、
伍にお金!!

ゆー感じですわ。。。

ところが、
お金を持ってさえいれば
幸せですか?
と言われるとそういうわけでもなさそうなのが
現代社会というものです。

それではなぜ
お金=幸せに結びつかないのかを、
一つ一つぴんころ的主観で
考察を述べていきたいと思います。

お金の役割

なぜお金を稼いでも稼いでも幸せになれないのか?

そもそもお金の役割とは何なのか?

お金とは簡単に言うと
世の中の価値基準。
つまり平等な価値として扱われている、
交換代替品
のようなものです。

これは国家や、あるコミュニティで
みんながその価値を共有している
ことを前提
に成り立っています。

歴史的観点から見ると
お金は原始時代では
貝がその役割を務めていたみたいです。
(お金に関係する漢字は
全て貝の字が入っているらしい)

人のできないことを
してあげると、その対価として
お金を支払うという社会が
成り立っています。

つまり
人が喜ぶ事、役に立つことをたくさん行い、
社会に貢献できる人の元に
お金は集まるという事です。

ここまでの話だとお金持ちになることは
とても尊敬すべき事と思えますが、
既に必要なものがありふれている
現代社会において、
果たしてお金がこの素敵な役割だけを
果たしているのでしょうか?

答えは否。

交換価値は大前提として普遍的に
扱われますが、
既に必要な物があふれている
現代社会においてお金は
昔でいうといわゆる力の象徴、
生存能力の象徴という風に価値がつけらます。

人々は魅力の一つとして扱い、
必要ない程にお金を集めたがります。

すると、
市場における競争であったり
争いが起き、
誰かが勝ち誰かが負ける。
つまり誰かが喜びを獲得し、
誰かが痛みを負う
というわけです。

これも健全な争い、
賢者たちの倫理観を前提に
行われるのであれば問題はないのですが、
欲の塊の不完全な私たち人間のやることですから
そうは簡単にはいきません。

歴史的に見ても
愚かな戦争は
幾度となく繰り返されてきました。

よってぴんころ的に
現代社会におけるお金の存在は
直接幸せと結びつくモノではないが、
不便を減らすことは出来るモノ

という風に位置づけてみました(・ω・)ノ

人の幸せとは

では人の幸せとはどうしたら
獲得できるというのでしょうか?

これは実は既に判明しており、
人は自分の人生をいかに自分でコントロールしている感を
持っているかどうか
というところに
尽きるみたいです。

これをコントロールアビリティと言います。

ある実験で仕事における幸福度を
調べたという文献があります。

それは人が仕事をするにあたって
環境、職種、給料といった、
どのカテゴリーが幸福度に一番影響するのかを
調べた実験みたいです。

結果、
仕事におけるコントロールアビリティ
高ければ高いほど
生産性も幸福度も上がったみたいです。

つまり自己責任で自分の思った通りに
選択行動できる環境
というのが、
人にとって一番健全でいられるという事でしょう。

更にはその行動が
他者に認められれば
モチベーションも上がるというものです。

しかし自分で選択行動しても
実際にそれが貢献に当たっていなければ
ただの自己満足で
コミュニティから除外されてしまう
可能性が出てきてしまうのです。

それでは本末転倒、幸福も
へったくれもなくなってしまうので、

次章では、
どのような欲や幸福の価値観を元に
意識を変えていけば、
正しい選択行動ができるのかを
考えていきたいと思います。

物質的贅沢と非物質的贅沢

前者は読んで字の如くですので
イメージしやすいかと思いますが、
物質的贅沢というのは
モノを得ることによって得られる幸福感、高揚感。
脳内ホルモンでいうとドーパミンでしょうか。

欲しいものが手に入れば
幸せを感じるという事は至極当たり前
の事でしょう。

それでは非物質的というのは
どういう事なのでしょうか。

非物質的というのは
欲しいものを手に入れるでも、
目標を達成するでも何でもいいのですが、
その幸福感を感じる理由を知ること、
つまり人の心の更に奥で起きている現象を
理解すること
で得られるものです。

それを理解することにより
自分が本当にやりたいこと、
アイデンティティと結びつき
その行動を起こしている
今この瞬間も幸福を感じることが出来ます。

外発的欲求と内発的欲求という
言い方もあります。

例えば、
外発的欲求とは
モノを得ることによって
自己顕示欲、自己承認欲求を満たす行為で
幸福感が極めて相対的なものという事です。

反対に内発的欲求というものは、
内側から極めて自然に沸きでてくるイメージです。

やらされているより
やりたいで動いてるイメージでしょうか。

まず欲しいものが出来た時の内側の
理由が既に違います。

例えば
外発的欲求の場合
「クソっ!なんであいつのがモテるんだよ!
こうなったらお金を稼いで、いい時計をしていい車に乗って
見返してやる。」

達成後、
「やーい俺のが社会的地位も高いし女にモテる!
さーて次やることは、、、?」
となるわけです。

一方内発的欲求は
「自分がしたいことは〇〇だ。
その為にはお金も時間も必要だから、
まずはお金を稼いで貯めよう。」

達成後、
「よし!しっかり準備は整ったので
〇〇を始めよう。」
となるわけです。

(ものすごくザックリな例えなので
わかりにくいかもしれませんが、
ニュアンスで捉えてください(笑)
前者は自分の欲に振り回されており、
後者は目標に向かって自分を
コントロールしているイメージです。)

つまり外発的欲求の
真の理由を知った時に
内発的欲求に変換
できる
というイメージでしょうか。

物質的贅沢を超越した先に
非物質的贅沢を感じれるということです。

(本日は例えがとてもさえません。
まったく文章が浮かんで来ないので
このまま、まとめに入らせていただきます。
ニュアンスだけでも伝われば幸いです。
これからも精進しますので
応援よろしくお願いしますm(__)m)

まとめ

前章でかなり端折りましたが
要するに何が言いたいかというと、

現代社会は既に必要な物は揃っており、
むしろ溢れ出している程です。
高いお金を払えば贅沢なんていくらでも出来るし、
そんな事はどの時代も当たり前の事。
そんなの本当の贅沢なんて言わねー。
もっと内側から湧き出てくる声に
耳を傾ければ、もっと身近に贅沢はたくさん
転がっているし、
その声を純粋に聞き、受け入れることが
出来れば既にいまこの瞬間に
お金で換算できない、
信じられない程の贅沢を感じることが出来るはず。
今の俺たちの生活は100年200年前であれば
貴族中の貴族の生活をしているのだから。
つまり
高いお金を支払った
リッチなサービスを受けるより、
ワンコインで牛丼セットが24時間
食べられるこの時代に生きていることが、
一番の贅沢なんじゃねーのかよと。
ちゃんと足元見て、
戦争なんてくだらないことやめねーか?

はあーーー(*‘∀‘)

最後に言いたいことが言えたので
今日はグッスリ眠れそうです。

おやすみなさい。

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